キーパーソンインタビュー『温故知新』
対談・インタビュー
時代が大きな転換期を迎えている今、SCはどのような未来を目指そうとしているのでしょうか。このシリーズでは、SC業界のキーパーソンをゲストに迎え、その想いやビジョンを伺っていきます。
今回は、『温故知新』をテーマに、ケイ・プランニングスの木本さまに、 インタビューをさせていただきました。
インタビューゲスト:木本氏
インタビュアー:SCネットワーク 有吉
有吉 本日はありがとうございます。SCの未来を考えるなかで、一度過去をふりかえることも大事なのではと思い、百貨店でのご経験、ご活躍されてらした木本様へのインタビューをさせていただくこととなりました。よろしくお願いいたします。
木本:大学時代に読んだレイモンド・ローウイの「口紅から機関車まで インダストリアルデザイナーの記録」(昭和28年刊)に啓発され、デザインに関われる会社を希望して就職し、業務でも活かすことができたことを思い起こせば、有吉さんが仰った「昔のSCの仕組みや成り立ちを知ることは自分たちの「SCの未来考察」を考えることに紐づくとのお考えは、「温故知新」ということでしょうが、私も大事なことだと思います。アナログ時代の出来事なので、今とはかなり違和感があると思いますが、今のSC業界に何かお役に立てることがあれば嬉しいです。
大江戸温泉物語開業
有吉:ではまず、いろいろな仕事を経験されるなかで、一番大変だったことは何でしょうか?
木本:それぞれに大変なことはありましたが、自分にとっては全く異業種の「大江戸温泉物語」の代表取締役社長に就任して、1年後にオープンさせるべく奮闘した時ではないかと思います。
着任した時には、東京都のコンペで中高年に向けた、「江戸をテーマにした日帰り温泉施設計画」が選ばれ、設計会社作成のプランは既に完成し、認可が下りる段階でした。屋外庭園に点在する30の露天風呂に男女が一緒に水着で入浴するとうプランでしたが、江戸情緒と中高年の水着姿の違和感、また、屋外施設では冬は寒く、30もの露天風呂を常時適温保持する為のランニングコスト、雨の日などを踏まえ、設計者に江戸情緒に溢れた屋内で、お客様は浴衣姿で江戸町人の気分で温泉に入ったり、酒を飲んだりと、夏も冬も雨の日も温泉気分が味わえるものに変更するよう頼みました。
設計会社からはこのプランでコンペを通したのだから変更できないと拒否されてしまったので、株主や役所などの関係先に根回しをしたうえで、2億円以上の設計料を払い、別の設計事務所にコンセプトに沿った設計をお願いし、江戸開府400年の年の平成15年3月に、無事オープンすることができました。
それ以外に、不慣れな銀行との融資交渉も大変でしたが、開業に向けた販促やPR活動、テナント誘致や管理、顧客サービス、社員教育などは百貨店やSCで得たノウハウ、経験、ネットワークを十分に生かすことができました。
お陰様で初年度は目標入場者数100万人を上回る120万人を達成することができました。
*東京都との事業用定期借地権設定契約終了に伴い、大江戸温泉物語は2021年6月に閉館
柏高島屋ステーションモールでの斬新な改革
有吉:次に店長をつとめられていた柏高島屋ステーションモールについて教えてください。
木本:「高島屋というのは、非常に積極的な企業で、新しいことにチャレンジしてきた歴史を持っている。この積み重ねが今日を築いてきたわけです。それが、当時は経済成長が長く続いた後遺症で社員の活気がなくなってしまった。換言すれば、前年実績主義で新しいことに全然トライしない。何もしないで、みんなと歩調を合わせていけば、そこそこの評価がされるという風潮が出来上がってしまった。しかも、私を含めて全役員も、とにかく今までのものを守っていけば、これでずっといけるという意識が強く、上も下も大企業病に罹ってしまっていた」
これは、当時の日高社長が、昭和63年から実施する新・三ヵ年計画の取材に訪れた業界紙記者に語った談話です。 「新三か年計画」の事業戦略は百貨店事業における「経営構造の抜本的リモデリング」と「戦略目標を明確にした多核化事業」と「グループ強化」を目指したもので、その第一弾として、東武鉄道の柏駅ビルの増改築時に高島屋柏店と駅ビル内の東神開発直営のローズタウンを一体化するSCの事業計画は既に決定していました。
当時の柏市は戦後のベビーブーム時代に生まれた団塊の世代とそのジュニアが多い典型的なベッドタウンで人口は30万人、年間所得は全国平均より30%以上高く、東京志向の市民が多い商圏でした。柏市民のご期待に応える最新のライフスタイルの提案や様々の情報やサービをご提供できるSCづくりを目指し、に事業計画通りにキーテナント高島屋と125の専門店で構成した、常磐線沿線で最大規模のSC「柏高島屋ステーションモール」として平成4年4月23日にオープンしました。
①新・郊外型百貨店づくり
高島屋柏店は昭和48年に柏駅西口で開店しましたが、同時期に駅東口に柏SOGOが高島屋の2倍の面積で開店したことから、20年間売上は半分以下の2番店として、ずっと苦戦を強いられてきました。
平成元年、私が全面的なリニューアル計画担当の柏店長として着任時の「柏だから・・」という諦めと活気のない社内の雰囲気を払拭し、1年後の人事の刷新と組織変更を待って、全社員で明るく前向きな気持ちで『市民も誇り、社員も誇る』新しい店づくりをスタートさせたいと考えました。先ずは新・社員食堂づくりから始めることにし、窓から筑波山が見渡せる8階の良い場所にあった店長室と地下2階の社員食堂の場所を入れ替え、隈謙吾さん設計の高級感のあるイタリアンレストラン風社員食堂に作り替え結果、全社員がこれから本当に柏店が新しく生まれ変わるのだということを実感できるきっかけになったと思います。
地下2階は新しく店長室と各階の各部事務所を集結させた総合事務所となり、社内情報の共有化、社内コミュニケーション向上、業務効率向上も図ることができました。
②ヤング館「TX」
柏市民に高島屋は変わったと思っていただける為には、トレンドや流行に敏感な柏の団塊の世代に受け入れられる店づくりが必須と考え、ヤング館「TX」にトライすることになりました。中高年御用達の高島屋にはヤングに対応できるノウハウが無いために、外部のコンサルタントやデザイナーに協力いただき、ターゲットの団塊の ジュニア 世代の年齢に近い若い社員達と一緒に、「リアルタイム東京」のMDと店舗の実現を目指しました。
TXのコンセプトは「毎日が快適で楽しくなるモノ、情報、ソフトサービス」と設定し、売り場づくりでは、従来の衣食住のくくりを外したフロア構成と編集売り場 、新しい発見があるコンセプトショップの開発、買い物目的が無くても毎日立ち寄れる楽しい売り場空間づくり、クラブ化の推進とコミュニケーションのできる場の提供を目指しました。
管理体制では、従来のバイヤー、マネージャーによる管理体制を止め、販仕一体(販売と仕入の一体化)のショップマスター制度を導入し、若い力とセンスを生かした自律的な活躍に期待しましたが、十分に期待に応えてくれました。
③経営構造のリモデリング
「市民も誇り、社員も誇る」店の実現に際し、経営構造の革新と収益力強化に向けたリモデリングにも取り組みました。市民が誇れる」アメニティ施設としては、各階トイレのグレードアップ、吹き抜け空間創設、ES脇へのソファ席の設置です。
地域と環境対策としては、包装紙、広告チラシの再生紙使用、オリジナルエコバッグの販売、地元の環境運動や地元文化人の支援、本館に郵便局、別館にNHK文化センターの誘致などです。
「社員も誇れるリモデリング」では、当時の柏店が重視していた不採算のバーゲン催事と大食堂を廃止し、従来は販売員の業務であった用度品や商品の補充業務の外部委託、セルフセレクション売り場の拡充、機能的なバックヤードの整備、生鮮食品用大型冷凍冷蔵庫の店内新設、バーコードシステム採用などです。人件費の有効利用と人材活性化策では、閉店後のレジ締めを翌日11時にして残業ゼロ,増床後も正社員の増員せずに地元のパートタイマーで対応することにし、同時に全社員に向けた様々なパワーアップ、モラールアップ、処遇改善策にも取り組みました。
このような様々な施策から人件費に限れば、初年度から、売り上げの12%から7%に削減することができました。
SC協会初代会長倉橋良男氏
有吉:SC協会 初代会長倉橋良男氏とはご一緒にお仕事されていた時期もありますか?何かエピソードなどあれば是非お伺いしたいです。
木本:高島屋は江戸時代の創業で、明治時代には貿易事業、昭和初期にはアメリカの「10セントストア」に学んだ「十銭均一ストアの全国展開など、時代の変化に対応し、新しいことに積極的にチャレンジする社風がありましたが、倉橋さんはまさに、アクティブな高島屋の社風の継承者、体現者だったと思います。
戦後間もない昭和24年に、海軍経理学校の教官から高島屋経営科学部に入社され、その1年後には既に欧米で存在していたSC業態が近い将来には日本にも到来することを予測されていたようです。
その約10年後、当時は荒野原の横浜駅西口への高島屋の新設、約20年後、駅前は遊園地と田んぼの二子玉川への日本初の大型SCの開発に着手され、計画段階から立地調査、企画開発、建設、運営管理を陣頭指揮、そして様々な困難も乗り越えて推進していただいたお陰で、それぞれは半世紀が過ぎた今も好業績を維持しています。
高島屋リタイア後は、日本ショッピングセンター協会の会長として、SC業界の発展に尽力されたことなど、後輩社員にとしては、教わることの多かった、尊敬する大先輩でもありました。
①二子玉川~玉川高島屋SC~
玉川高島屋SCが誕生した昭和44年前後は「いざなぎ景気」の真只中で、小売業界ではダイエーも高島屋も好景気に支えられ、大幅に売り上げを伸ばしていた良き時代でした。
私は昭和43年に百貨店側の開店準備委員になり、初めてのアメリカ西海岸の小売業界視察旅行に出かけましたが、車社会のアメリカでは人口の郊外移動が顕著なためにダウンタウンの百貨店は衰退し、フリーウエー沿いの郊外のショッピングセンターが大繁盛しているという小売業界の実態に触れることができました。
複数の百貨店と多彩な専門店、公共施設、広大なモールと駐車場を備えた先進的な新業態を見学した時、日本の業界は10年以上遅れているなと実感させられつつ、新しい店づくりへの数々のヒントやアイデアを得ることができました。
昭和44年に全面開通した東名高速の用賀ICから程近い国道246に面した二子玉川に、高島屋と120の専門店、クリニック、ボーリング場、ガソリンスタンド、1,000台の駐車場からなる日本で初めての大型郊外型SCとして、同年11月11日の11時にめでたくオープンすることができました。
しかし、開店時に押しかけられたバーゲン期待客やアメリカンスタイルの新業態に馴染まない人達は再来店されず、期待した車利用客は日曜日には期待以上の大渋滞、平日は閑古鳥だったこともあり、暫くは厳しい経営を強いられることになり、事業の成功を信じるディベロッパーとテナントが一丸となり、様々な強化策に取り組むことになりました。
私にとって一番思い出深いのは、「競走馬即売会」です。
競走馬の牧場をお持ちの或るテナントオーナーから出た「百貨店で馬を売る」アイデアに、これは面白いと直感し、競馬も競馬業界も知らない素人の私が担当して取り組みましたが、会社のトップの理解と一部の業界関係者の協力もあって、なんとか乗り切って開催に漕ぎつけ、SCの南側の空き地(今の南館)に建設した仮設厩舎に北海道の牧場から運んできた20頭の馬を展示販売したところ3日間で13頭も売れただけでなく、テレビ局と新聞社の全社とBBCにも取材されるなど、大きな話題となり、一気に玉川高島屋の知名度を上げることができました。
私にとっては「やってみなはれ」と果敢にチャレンジする重要性が実感できた、貴重な機会でもありました。
②二子玉川~ラブリバー多摩川を愛する会~
日本の高度成長時代であった昭和40年代は深刻な環境問題、社会問題を引き起こしており、玉川高島屋SCの横を流れる「多摩川」は魚も住めないほど汚濁し、河原には家庭ゴミや古タイヤが散乱する様な酷い状態になっていました。
当時、環境問題に取り組む「LOVE RIVER」運動を主導されていた二ツポン放送の西尾氏に協力いただき、昭和50年、二子玉川地区の住民、企業、行政が一体となり「子供たちのための未来のために美しい多摩川を残そう」との思いから環境問題に取り組む「ラブリバー多摩川を愛する会」が結成され、会員と子供たちは一緒に河原でのイベント楽しんだ後の河原の清掃をするなどの活動をスタートさせました。
今、多摩川は環境改善への様々な取り組みにより、何百万匹の鮎が遡上するなど、美しい多摩川の姿を取り戻しました。
二子玉川エリアでは、2016年に東急グループがシネマなどを入れた大型商業施設『rise』をオープンされましたが、地域の魅力がアップしたことはすごくうれしいことです。
時代に先廻りをする戦略的施策が必要
有吉:今のSC関係者に期待する事やまた緊急提言はございますか?
倉橋良男さんは「変化する時代に合わせてゆくというよりは、時代に先廻りをする戦略的施策が必要」と示唆されていますが、百貨店業界、SC業界の皆様は今後予測される社会情勢、消費者行動や価値観などの変化を前向きに受け止められ、より先進的で独創的な「戦略的な施策」のためにお忙しいことと思いますが、多少無理をなさっても、ご家族との団欒の時間やご自身のリフレッシュとリラーニングの時間を是非確保され、時にはスマホから離れて本をお読みになるのも良いかも知れません。「忙中閑あり」です。
先日、断捨離で本を整理していたら、2004年出版の堺屋太一著「平成三十年」上下巻(2004年朝日文庫刊)が目に止まり、上巻の在るページには、平成30年の郊外で大型SCを経営している企業が、新たに都市部の駅前に複合機能を備えたコミュニティタイプの「歩いて暮らせる街づくり」にトライするという一節があり、さすが元通産官僚の描く小説だなと興味深く読みましたが、これも「温故知新」です。
私は常に「自分が客であったら」「自分はお取引先であったら」という客観的な立場で先ず部門担当者の提案や異論にも耳を傾けた後に、発言、判断、決定をする様に心掛けていました。
この様なプロセスを経て作り上げた計画案で、東神開発と新しい「柏高島屋ステーションモール」づくりに臨んだところ、何とか上手くいった経験から、東神開発が創業時に掲げた基本理念「共存共栄」「相互信頼」「自主性尊重」に、その後「お客様視点」をが加わりましたが、私は「お客様視点」が自身の経験からも一番大事にすべき正しい理念だと思います。