【キーパーソン対談】SCのミライ ~森ビル株式会社 執行役員 荒川信雄氏 × 株式会社イースト 代表取締役 長島秀晃氏

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時代が大きな転換期を迎えている今、SCはどのような未来を目指そうとしているのでしょうか。このシリーズでは、SC業界のキーパーソンのゲストに迎え、その想いやビジョンを伺っていきます。

森ビル株式会社 執行役員 兼 株式会社ラフォーレ原宿 代表取締役社長 荒川信雄氏(以下、荒川氏)と、株式会社イースト 代表取締役 長島秀晃氏(以下、長島氏)による対談をお届けいたします。

パネラー:森ビル株式会社 執行役員 荒川 信雄氏
パネラー:株式会社イースト 代表取締役 長島 秀晃氏
ファシリテーター:有吉

一緒に汗を流してきた同志として

荒川氏  私は、「アークヒルズ」が完成した1986年に入社しました。
 入社後まもなく、「ラフォーレ原宿」にも関心を持ち始めました。というのも、素晴らしい才能があって輝いているファッション業界の人たちを見て、彼らを縁の下の力持ちとして応援する仕事がしたいと思ったんです。
 念願かない、入社3年目に「ラフォーレ原宿」を担当するようになりました。
 当時若手社員は、まず経理部門に配属される方針だったため、「ラフォーレ原宿」の売上管理担当から始めました。
 そのときに取引先としていらっしゃっていたのが、長島さんで、これが最初の出会いでした。

森ビル株式会社 執行役員 荒川 信雄 氏

長島氏 当時私はレジ関係のメーカーの新入社員でした。

荒川氏 「ラフォーレ原宿」のバーゲン時の売上がすごくて、クレジットカード決済のCAT端末に情報が集中してパンクしてしまったことがありましたね。

長島氏 あのときはご迷惑をおかけしました(笑)。

荒川氏 その時は「お願い!長島さん、助けて!」って呼んで、一緒にトラブルの対応にあたりましたね。それ以外にも、長島さんの本来の業務範囲ではないのにイベントの準備をお手伝いいただき、一緒に走り回ったり。


長島氏 いやあ、まだ新入社員だったから、わけもわからずにがむしゃらに動き回っていましたね。

荒川氏 その節はお世話になりました(笑)。
 ずいぶん一緒に汗をかきましたね。

ラフォーレ原宿:当時のバーゲン法被

長島氏 クレジット端末の追加設置はだいぶ落ち着いてきたというので、毎朝5時に来て、行列整理のお手伝いをしたり。なにしろ原宿駅までお客さまが並んでいましたから。

荒川氏 当時はセールに高校生が並んじゃうので、学校に間に合うようにと朝6時半ぐらいからオープンしてたんです。

長島氏 システムの仕事よりも、メガホン片手に法被を着て行列整理していたことのほうが記憶に残っていますよ。
 行列が片付いたらみんなで一緒に掃除したり、もう、つい先日のことのように覚えています。

荒川氏 その意味でも長島さんは「ラフォーレ原宿」で、売上管理のシステム導入だけでなく、テナントサービスの向上を目指し一緒に闘った同志ですよ。

長島氏 そう言っていただけると嬉しいです。ありがとうございます。

有吉  その後、荒川さんがご担当されたのがお台場の「ヴィーナスフォート」ですね。

荒川氏 3年ほど「ラフォーレ原宿小倉」に在籍した後「ヴィーナスフォート」の立ち上げ準備に携わりました。

有吉  株式会社イーストの創業と近い印象がありますが。

株式会社イースト 代表取締役 長島 秀晃

長島氏 私が株式会社イーストを創業したのが1997年で、その2年後の1999年に「ヴィーナスフォート」がオープンしました。
 ですから私にとって創業後、初めて本格的に荒川さんと一緒に大きな仕事をさせていただいたのが「ヴィーナスフォート」でしたね。

荒川氏 当時のお台場は、交通手段が「ゆりかもめ」以外には何もなかったこともあり、どう街として盛り上げていくのか、考える必要があることがたくさんありました。
 一方で会社は「六本木ヒルズ」という巨大プロジェクトが動いていたので、なかなか人手は割けず、さて困ったというときに、長島さんが手伝ってくれることになったんです。

長島氏 確かに「ヴィーナスフォート」には人手がかけられず、新たな人材の採用も難しいというので、それならば我々のほうで人を採用し、教育もしますから、売上管理の仕事は任せてください、ということになりました。
 当時、売上管理のアウトソーシングなんて、まだどこもやっていなかった時代でした。

荒川氏  だから、いろんな売上管理に関する運営課題をひとつづつ乗り越えるパートナーが長島さんチームだったんです。チーム長島はみんな明るくて助かりました!

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